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日本周遊紀行

3日目:温泉と観光(温海温泉、湯田川・湯野浜温泉、男鹿半島)  第4日目(大潟、能代)へ  も く じ  写真集 
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温泉と観光(2) 「笹川流れと温海温泉」




桑川駅付近の「笹川流れ」という海域


「笹川流れ」というのは川ではなく、景勝豊かな海であった・・、

新潟県北部沿岸は、山肌が日本海に落ち込み急峻で狭い。
波打ち際ギリギリに走る国道345は、奇岩怪岩が連続して出現する景観地であり、海岸道を羽越本線がピッタリ並行していて、やがて山北(さんぽく)町でに到る。  

海岸橋を渡り、いくつものトンネルを抜けて走るドライブの途中で、これらの絶景を眺めるため、いくつものパーキング場が設けられている、これらを利用しながらゆっくり走りたい。

「めがね岩」、「びょうぶ岩」、「恐竜」岩などと名の付いた岩礁や奇岩地帯の、村上市から北へ約10kmの海岸線を「笹川流れ」といい、東北でも屈指の名勝である。


「・・流れ」と言うから一見、物の状態をあらわす形容語の様な名称であるが、チャンとしたそれなりの由来が在った。 
沖合の岩の間を盛り上がるように流れの早い潮流のことを、中心地の笹川集落の名を冠して呼んだとも言われている。

羽越本線・桑川駅と「道の駅・笹川流れ」が一体になっている休憩地があった。ここから海岸に出ると、海岸線に沿って細長い公園が有り、ここからの眺めもすこぶる良い。 
正面に見えてる「粟島」に夕陽が沈む頃が、一番の景観らしい。ちなみに、本線駅名に、「くわがわ」、「えちごはやかわ」、「いまかわ」、「わきかわ」、「えちごかんかわ」 と「流れ」だけに「かわ・川」の名が付く駅が多いのは偶然なのかな・・!。



平安初期に発見されたとする古湯・「温海温泉」・・、


山形県に入って直ぐに、国道7号線の入り口に大きなコケシが道案内をしてくれる。
ここから温海川に沿って2kmも行くと、温泉街に着く。キラキラした土産店などは全くなく、シットリと落ち着いた佇まいを見せてる雰囲気のある温泉街である、いかにも歴史を感じさせる温泉である。 

「温海温泉」は湯野浜温泉、湯田川温泉とともに庄内三楽郷に数えられるという。
その由来は807年に手負いの鶴が傷を癒しているのを見つけたという話や・・、

平安初期、849年の大地震で温泉が湧き出したという話もある。 
記録から戦国以前には湯治場として成立していたと考えられ、江戸期には庄内藩が湯役所を置いて代々の藩主も訪れたという。
現在の朝市の場所に湯役所、源泉があったとされ、その名物・朝市は東北最古とされ、温泉神社も再建されている。


温海温泉には、住民の皆さんに親しまれている「正面湯」、「下の湯」、「里の湯」の共同浴場が3ヶ所あり、無人なので料金箱に協力金として200円の心付けが必要とか。  

他に足湯も河原の「もっけ湯」をはじめ3ヶ所ほど在る。共同湯のうち、「正面湯」に浴いろうとしたが、駐車場が無いので、やむなく観光協会の案内で「グランドホテル」の湯に浸かった。 

大きな内湯にソコソコの露天風呂も有り快適であった。 
泉質は含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉、無色透明のサッパリした湯、飲むと、やや塩っぽい味がした。 
露天風呂に浸かっている時、俄かに大雨がやってきたが、そのまま浸かっている。

これもまた一興・・!。



写真:温海温泉の朝市風景


夜来、車を叩く雨の音、初めての車中の夜の緊張・・その為か時々夜中に目を覚ます。
そしてそのまま朝を迎えてしまった。 
車中でホットコーヒーを沸かす、それでも頭のカスミは取れない・・!、  
 ネムイよー・・!!


昨日訪れた温海温泉街を再度訪問する、260年間続いている名物の朝市は、やはり今朝も開かれていた。
地元の広報では・・、

 「 温海温泉 朝市 」
温海には心からの安らぎをさらに深いものにしてくれる、温海ならではの演出があります。
名物「あつみ温泉の朝市」は260年の歴史を誇り、近郷近在の農家が旬の味覚を商う様やその風情は、古くからのままです。 そもそも、湯治客を相手に、農作物や日用品を商うことから始まったこの朝市も、今では温海のみならず山形を代表する風物詩のひとつで、特産の赤かぶなどを求めてこの朝市だけのために訪れる人もいるほど。 とはいえ、やはり温海の奥深い魅力を堪能し、心から安らぐならいつもよりちょっと早起きする気持ちでの朝市散策がおすすめです。


とマアこんな具合でした・・。


テント構えの出店(でみせ)ではなく、チャントした店舗形式のサッパリした店構えである。
何か目ぼしいものが有ったら購入しよと一回りしたが特に無く、記念写真で、先を急いだ。

次回は、庄内三湯の「湯田川温泉、湯野浜温泉」

温泉と観光(3) 「湯田川と湯野浜温泉」




写真:日本海洗う湯野浜温泉と鳥海山



山形県の日本海側にある庄内地方の温泉郷には、温海温泉、湯野浜温泉、湯田川温泉が古くから知られている・・、 

海岸沿道の国道7号線を北上すると、やがて鶴岡方面への内陸へ向かう。 
その市街地手前に「湯田川温泉」がある。 

大型温泉ホテルが並ぶ温海温泉、湯野浜温泉とは違い、鶴岡南部・金峰山の麓にある湯治場として栄えた鄙びた温泉郷で、いかにも鄙びた温泉街である。

湯田川温泉は、開湯1300年という伝統の中で、鶴岡の奥座敷として地元民に親しまれ、庄内藩政の時代には、藩主や美人の湯としてお姫様がお忍びで温泉を楽しんだという。 

道を挟んで肩を寄せ合うようにして並ぶ黒塀の宿や白壁の宿は、多くの文人からも愛されている。
地元が生んだ歴史小説作家「藤沢周平」を始め、種田山頭火、竹久夢二、柳田国男、横光利一など、鄙びた情緒ある宿に逗留して構想を練り、執筆を重ねた足跡が残されている。


湯田川温泉は古く、奈良期の和銅五年(712年)に発見され、出羽三山の修行の終点で「精進落しの地」であったという記録も残る。
ここは昔から「鶴岡の奥座敷」と呼ばれ、竹林と梅林に囲まれた10数件の旅館が建ち並ぶ静かな温泉で、鶴岡の市内からも近く、一般客や湯治客が訪れる名湯である。

共同場は、「正面湯」(何故か温海温泉にも同名の湯がある)、「田の湯」などが在り、近年、足湯の「しらさぎの湯」ができた。
もとより、加水・加温・循環を全くしていない極めて純粋な「天然かけ流し」温泉で、環境省より「国民保養温泉地」にも指定されている。

湯田川温泉の泉質は、Na・Ca-硫酸塩泉、効能は脳神経病、眼病、婦人病、便泌、痛風に効能ありといわれる。


鶴岡の町から、そのまま海岸へ出ると「湯野浜温泉」である・・、


湯野浜温泉は小生の思い出の地である。
些か私事で蛇足になるが、今から10年ぐらい前に山形県下の主要地を訪ねた事があった。 
生母が山形出身で、半世紀以上経っての挨拶訪問が主目的であったが、小生も山形県人としての血が半分(父はお隣の福島県)混じっているのである。

生母は、鶴岡から南下した最上川の上流域、朝日連峰の東山麓の朝日町の出身である。 
当時、終戦直後の混乱の時期、父が病死した母の位牌をもって訪ねたのを幼少ながら記憶に残っていた。
山形駅から左沢(あてらざわ)線に乗り、バスに乗り換え、更に、バス停より徒歩で1時間もの山峡僻地が母の実家であり、当時は盛んにお蚕さん(養蚕)を生業としていたようである。

その時訊ねたのが出羽三山、鶴岡、湯野浜温泉であった・・!。



鶴岡市にある湯野浜温泉は日本海に面し、波の音と松風の聞こえる海浜の温泉郷として有名で、海岸に沿って大型のホテルが並んでいる。
客室から眺める日本海への沈む夕日は格別である。
われ等夫婦が当時宿泊したのは、温泉街の中央部で浜辺に位置する「ホテル福住」と記憶している。


湯野浜温泉は、平安期の11世紀初頭、付近の漁夫が海辺で大亀が砂浜で温浴しているのを見て、温泉を発見した故事に由来し、元の名は「亀の湯」と称されていた。 

現に、湯野浜温泉には「亀屋」という明治初期創業の老舗旅館があり、和風庭園を配した建物は一見竜宮城を思わせるという。
東山温泉(福島・会津)、上の山温泉(山形)と並び奥羽三楽郷の一つとされ、古くから海辺の歓楽温泉地として栄えている。


克って、大正年間から1975年頃までは私鉄の庄内交通湯野浜線が、湯野浜の中心地と鶴岡駅を結んでいた。その湯野浜駅があった場所の中央ロータリー広場、公民館一階に足湯広場を持つ共同場・下区共同浴場が在り、他に上区共同浴場ある。


海辺の露天風呂に浸かり、日本海の黄赤に染まる夕日を眺めつつ、新鮮な魚介類を舌づつむ味は格別である。 
夏場は海水浴客でも賑わい、四季を通じて老若男女全てに楽しめるトップランクの温泉地である。

共同浴場の泉質は、ナトリウム・カルシウム−塩化物温泉、56.1℃、pH8.4(弱アルカリ泉で湯野浜各種源泉の混合泉)。


温泉と観光(4) 「男鹿の景勝と温泉」



写真:半島南部の景勝地、「潮の崎」付近


男鹿は元々は火山の島であった、その証拠が・・、


「男鹿半島」は半島付け根・中央部には標高354メートルの寒風山が聳える。
聳えるといっても草原状台地の火山で五つの小火山と二つの火口から成ってるらしい。 
又、男鹿三山をはじめ、麓の戸賀湾を含んだ地域は爆裂火口地帯を構成している、つまり、男鹿は元々は火山の島であったようである。


男鹿半島の北部突端部に戸賀湾がある・・、

県道121号線沿いに位置し戸賀湾、一ノ目潟、二ノ目潟さらには奥羽山脈・青森県境までもを眼下に眺望できる景勝地「八望台」というのがある。 
その名は、「高松宮殿下」が命名されたという記念すべき名称でもある。
男鹿半島でも有数のビュースポットで、観光ツアーの定番コースにもなっている。


さて、戸賀浦のことであるが・・、

先端部付近には世界的にも珍しい神秘的な火山湖である一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟といった沼湖が存在する。 
いずれも日本では男鹿半島にのみ存在する爆裂火口(マールとよばれる)湖であり、 この湖はマール湖と呼ばれる地形の典型的なものだといわれている。
 尤も、戸賀湾そのものも四ノ目潟と呼ばれるマールで、火口が海とつながった火口湾であるともいう。


マールとは・・、

深底部にあるマグマが地下水と接触し急激に接触反応すると、水蒸気マグマ爆発と呼ばれる激しい 爆発が起こる。 この時マグマと水の接触の割合によって、その爆発力は連続的に 変化するが、その中でも激しい爆発が起こった時に作られるのが火山地形のマ ールである。 

爆発力が強いために大きな火口が作られ、そのため噴出物は広い範囲に撒散らされるので火口の周りにはごくわずかの堆積物しか残らない。 
そのため噴火が終わると火口は速やかに地下水で満たさる。 

地下から上昇してきたマグマと地下水が接触して爆発が起こるので、その爆発は 地下水面よりも下で起こり、マールの形成には,マグマと水の接触の割合が関係しているともう。 

このことから、どこの火山でも見られるという火山地形ではなく、国内では、九州・指宿地域、男鹿半島の当地、伊豆大島の波浮港などが代表的なマール地形で、地下水の豊富な海岸付近に比較的多いという。

地歴的に観ると、一ノ目潟の形成は9000年前、二ノ目潟と三ノ目潟は4000年前の縄文期と推定されているといわれる。

その八望台から一ノ目潟、ニノ目潟が眺望出来、その間に日本海が一望にできる絶好の展望地である。 
 

岩礁際にある、新装の「男鹿水族館」・・、


この麓の岩礁海岸に、今年(2004年)7月、オープンしたての近代的な「男鹿水族館」があった。
周囲は人家一つ無い自然の中の海岸に忽然とあり、モダンな建物のわりには何故か違和感が無く自然に存在していた。 
オープン前に、人気の映画「釣りバカ日誌」のロケ現場として利用されたらしく、前評判が大きかったこともあり、平成16年7月13日のリニューアルオープン以後、大勢の来場客で賑わいを見せているという。
小生も、開業直後の水族館を1000円の入館料を払って見物した。 

アシカ、ペンギン等の人気の生き物や川の生き物をはじめ、巨大水槽、水中トンネルなど見所が満載で、水中トンネルは海の底にいる気分である。 
館内には男鹿・秋田の海の生物が数多く展示されており、身近ながら中々見ることの出来ない目の前の日本海の中を知ることも出来た。 

秋田の名物魚・ハタハタなどの男鹿を代表する魚も沢山展示されていた。


日本海中部地震・・、

又、この地域は、昭和58年(1983年)5月26日午後0時「日本海中部地震」の強震が発生している。

秋田県能代市西方沖約100kmの地点が震源地で、マグニチュードは7.7、秋田市、むつ市、深浦町で最大震度5を観測している。
地震により発生した津波などにより、104名の犠牲者を出したことは記憶に新しい。 


戸賀の加茂青砂地区でも、海岸で遊んでいた合川南小学校児童13人児童や外国人観光客が逃げ遅れて津波に飲まれた。 
この日は、雲ひとつない青空で、海は鏡のようであったという。
現在は、この地に慰霊碑が建っている。



さて、男鹿温泉である・・、


男鹿温泉郷は日本海に突き出した「男鹿半島」の東北端に湧く温泉である。

平安初期(806〜810)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の東征の際に発見されたと伝えられる。 

因みに、田村麻呂については前後して述べるが、平安時代の武官で、793年に陸奥国の蝦夷に対する戦争で征夷大将軍になって総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を討って降服させた人物である。 

平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後世に様々な伝説を生む。
中世においては、文の菅原道真、武の坂上田村麻呂と文武のシンボル的存在とされ、田村麻呂は京都の清水寺を創建したと伝えられる。
清水寺は元の田村麻呂の自邸でもあったという。


温泉が発見されたのは古代に遡るが、温泉場のして拓けたのは比較的新しいという。 
現在では、10数件近いホテルや旅館を中心に多くの土産店が並び、男鹿を代表する宿泊地として、また秋田の奥座敷として親しまれている・・。


国民宿舎・「男鹿」・・、


温泉郷の内、海岸沿いの松林に覆われた一角に、国民宿舎の「男鹿」があり、本日はこちらに世話になった。
中は広いが簡素な浴室で湯船は一つ、お湯は濁りのあるチョット珍しい「黄緑色」をしていて薄い塩味がし、「笹濁りの湯」という表現もあるようだ。

しかし、析出物はなかなかのもので、浴槽の底には赤茶けた湯花が大量に積もっている。
それを思い切りかき混ぜると赤茶けた色の温泉になった。お湯はとろりとした感じのもので感触は悪くなく、そこそこの入浴感もある。
ただ、少しぬるめになっていたせいかやや物足りなく感じがしないでもない。 

動物の形をした温泉の注ぎ口が、元の形がわからないほどまでに析出していて、成分の濃さを感じる。 湯温はさして高くないのに浴中すぐに大量の汗が噴き出してくる、温もりの湯でもあるようだ、とてもツルツル感のあるお湯が気持ちは上クラスであろう・・!、

男鹿温泉の湯ざわりは、なかなかの実力派であった。
泉質は、ナトリウム-塩化物泉で、効能は 皮膚病、婦人病、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、冷え症など。

次回は、    第4日目へ
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